国語を究めてみませんか⑪

2025年9月4日

 こんにちは、Zukkiです。

 日々漢字を学習する際にまず重要なのは、傍線部の変換に終始せず、例文をきちんと読み込み、そこで表現されている場面や状況をよくイメージすることだという話をしました。漢字の学習自体が長い文章を読むための練習になっていることが、実は読解力養成の練習になっているということですね。辞書で意味を調べるという行為は、これが前提となって本当の意味で効力を発揮することを忘れないでください。

 さて、高い読解力を持つ子はここで終わらないと言いましたが、他に何をしているのでしょうか。過去の卒業生が寄贈してくれた家庭学習ノートや、今教えている生徒たちが自発的に提出してくる家庭学習ノートを見ると、同じ範囲を学習しても、書いてある内容は一人一人それぞれに違います。しかし、していることはほぼ共通しています。「辞書を調べた時に『ひと手間をかける』」のです。辞書で意味を調べると、その見出し語の語釈の中に類義語や対義語が出ています。それを調べた元々の言葉とセットにして覚えていくのですね。これを習慣化していると、普段からある語句を目にすると「似た意味のものは、対照的な意味のものは何か?」というふうに意識が働くようになっていきます。他に繋がっていかない単発の知識ではなく、何らかの基準でセット化、グループ化したつながりのある知識として頭に入りやすくなるのですね。上達すると「これを言い換えた慣用句や四字熟語があったな」と、グループ化できる言葉のカテゴリーも増えていきます。ただ、全てを完全にやろうとすると膨大な時間がかかってしまうので、生徒たちは概ね週替わりで中心とするテーマを決めて「今週は類義語週間に、同音異義語週間にしよう」というように一人一人が自由に取り組んでいるようです。そのため、同じテキストの復習であっても一人一人が身につける知識は少しずつ異なっている訳です。そして、手持ちの知識が少しずつ異なる生徒たちが授業中に自分の語彙を動員して発言をするので、そこでお互いが刺激を受けるという嬉しい効果が得られるのも授業の醍醐味です。本当に実力のある生徒は、共に学ぶ仲間の話にも耳を傾けていますし、上達を望む生徒はそういう生徒にインスパイアされますので、やがて家庭学習は「次の授業でもっと授業が理解できる自分、もっと活躍できる自分をつくる」ことに目的が収斂していきます。知らないうちに自分の喜びのために学ぶ自分が少しずつ形成されていき、終わらせるための勉強は過去のものになっていくのです。

 「でもZukki先生、さっきの『熱弁』を調べても類義語や対義語が出ていませんでした。こういう場合はどうしたらいいですか?」

 はい、そういうことはよくありますよね。しかし、私の話を聴けば、類義語や対義語はひと手間のかけ方であって、それが必ずしも絶対の目的ではないことが分かると思います。「熱弁」を出発点として、何らかの形でつながりながら知識を増やすことに目的がある訳です。たとえば、私の生徒たちはこんなふうにやっているようです。

・「熱」を使った熟語

   熱〇⇒熱湯、熱血、熱中、熱帯⇒熱帯魚、熱帯夜・・・・

   〇熱⇒加熱、耐熱、発熱⇔解熱⇒解熱剤・・・・・

 同じように「弁」を用いた熟語をやってもいいし、どちらかだけでも構いません。語彙力の学習は毎日続けることに最大の意味がある訳ですから、自分が毎日やると決めた時間の中でできることをすれば、その日一日何もせずに終わるよりもずっとマシですね。この「何もしないよりはずっとマシ」という、「一日という、点で物事を見れば実にささやかな行い」をどこまでも続けることができるかどうかが、学習に限らず何事においても高い水準での成功に不可欠であることを忘れてはいけません。